Wonderwallから始まり、ノエルに終わる

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30代からのオアシスについて

オアシスというイギリスのロックバンドがあった。それは1994年のファーストアルバム「Definitoly Maybe」に始まり、2009年の解散に至るまで、ティーンエイジャーの僕の魂に火をともし、燃やし続けた。オアシスというバンドはモンスターだった。「(What's The Sotry)Morning Glory?」は全世界で1800万枚以上も売り上げ、先日のイギリスのコンサートテロ事件では、ノエル・ギャラガーがボーカルの「Don't Look Back In Anger」が鎮魂歌として、人々のあいだで合唱された。三作目の「Be Here Now」はイギリス史上最速の売り上げを達成した。ビートルズの後継とまで呼ばれるに至った。


僕がオアシスに魅了されたのは、高校の3年生の時で、ちょうど「Be Here Now」で武道館ツアーをやっていたときだった。季節は冬だったと思う。僕はそのころ、体育の授業でグラウンドを周回しながら、今、日本にやって来ているであろうオアシスのことを想った。一度で良いから、生で見てみたかった。野放図で、荒々しく、そして憧れの的だったリアム・ギャラガーを一目見たかった。武道館ツアーのチケットはプレミアが付き、ダフ屋では1枚18万円の高値だった。


オアシスは僕が文章を書くきっかけを作った。オアシスに出会っていなければ、僕は文章を書いていなかったと思う。2000年ツアー、2001年のフジロックという流れで、僕はその感動を、そこであった出来事を留めたくなったし、感情の発露があった。


・書かずには、いられなかった。


そこで素晴らしい仲間にインターネットで出会い続け、その活動は、2010年まで続いていった。”素晴らしい仲間とインターネットで出会い続け、オアシスへの想いを抱き、書き続けたログは、「Oasis All Over」というサイトに確かな熱を持って、書いてある。だから、そのときにそこであったことについては割愛する。


しかし、やがてギャラガーブラザーズは仲たがいをし、オアシスというバンドは崩れ去ってしまった。その速報を僕は、ある若い20歳の女の子からの速報メールで知った。

「オアシスが解散しました」


僕は、たいして驚かなかった。結成当初から、解散の話などいくらでも出ていたし、彼らはいつ解散してもおかしくないぐらいだった。7枚のアルバムを残し、無数のライブを行い、僕は30回程度そのライブに顔を出し、生音のバイブレーションに心を文字通り燃やしてきた。


良くやったというべきだっただろう。僕はちょうどそのときそのとき30歳に差し掛かろうとしていた。僕の人生の20代は、オアシスだった。オアシスが人生だった。そこにすべてが集約され、確かな熱を持って、鼓動を生み出し続けていた。稀有のロックンロールバンドだと思う。


30代になった。元オアシスのリアム・ギャラガーが夏にサマーソニックに来るという。ソロで、ニューアルバムもリリースされている。ノエルも今年中にアルバムを出すらしい。しかし、どちらにも、興味を抱くことが難しくなってしまった。Beady Eyeのファーストアルバム、ノエルのセカンドアルバムを持っている。だが、もう”心が揺さぶられる”ことはなかった。


何かが過ぎ去ってしまったのだ。僕にとっても、おそらくは彼らにとっても。時代の潮流にのっていたオアシスの音楽は、再結成しても耳への響き方はきっと違うだろう。



ところで、先日派遣会社の飲み会があって、女性二人とUKロックの話をした。ストーンローゼズの話やスウェードの話をした後で、「オアシスナイトってイベントがあるみたいですよ。行ったことありますか? 実は、僕の知り合いがそこでDJをしていて……」


僕は酒を飲みながら、鷹揚に返事をした。「そのクラブイベントを始めたのは、実は僕ですよ」と笑って見せた。


彼らは一様に驚いていた。その様子は面白かった。今のオアシスナイトの運営がどうなっているのか、昔ながらの熱狂的なファンが集まっているのか、そうじゃないものに変質しているのか分からなかったけど、世界は狭いものだ。そのオアシスナイトへの参加も、開催も30歳でピリオドを打った。事情は話さないでおく。それなりの、重たい決断があった。


30代でオアシスについて語るべきことは少ない。ノエルのコンサートライブへ1回行き、フジロックの2012年に1度行った。ノエルはおそらく半分ぐらいはオアシスの曲を演奏した。僕は30代になってから、リアムではなくノエルのことを好くようになっていた。オアシス=リアム・ギャラガーが、オアシス=ノエル・ギャラガーになってしまっていた。何故かは分からない。言葉では表現することのできない感情の遷移があった。


オアシスは時々聴く。昨日は懐かしくなって「Gas Panic!」を聴いていた。名曲だった。「Full On」を聴いた。名曲だった。


僕は現在37歳になっていた。”あの頃の記憶ー20代の熱狂的な日々、それを思い出すことはできるけど、そこに含まれることはなくなっていた。それはいつの間にか、失っていた。人々が、いつの間にか失っていく青春の群像のようなものがそこにはあった。


オアシス。それは現在形で進行しているではなく、動きを止めた記憶となっていた。僕にとっては、それでもやはり、かけがえのないロックンロール・バンドだった。

精神病というレッテル

いとこの女の子は石川県民だ。金沢市金沢駅から車で30分ぐらいの田舎町で、高校まで石川で過ごし、大阪の専門学校でフラワーデザインを専攻した。

彼女は、未来に輝かしいものを感じていた。しかし、就職先の花屋が家族経営で、徹底的に”いじめられて”、鬱病から躁鬱病になり、半年間精神病院に入院した。もう10年以上、前の話だ。

そのときに、金沢から大阪の僕の家に電話があり、「S子が入院した、精神病院なんだけど」とまるで打ち明けるように、S子の母親が言った。まるで不吉な予言を告げるように。

「近所には、知られたくないから内緒にしている」と言っていた。田舎は、すぐに噂が広まっていくとのことだった。僕は彼女が懸念している意味が分からなかった。病気で、病院に入ったのなら、むしろ公言して、お見舞いに来て貰ったりした方がいいんじゃないか、と思った。


S子は、退院後しばらくは不安定だったが、やがて精神を取り戻し、シューズショップでアルバイトをしている。今では、薬も飲んでいない。病気だったということは、”なかったこと”になっている。
「病気のことなんて、知らないし思い出したくもない」と言っていた。


その数年後に、僕は重たい統合失調症になった。精神病院へ入ることになり、2017年現在で5回入院している。



そこで、出会った患者のなかに、親と上手な関係を築いていないという人がいた。「親が精神病というレッテル張ってきますねんやわ」
彼は不満げに言った。三ヵ月の入院予定が、既に半年以上に伸びていた。彼の病名は分からなかったが、このレッテル張りは僕にも経験があったので、しみるようによく分かった。



就職活動をしていて、病歴は? という質問に、「実は精神病を患っていまして……」と正直に打ち明けたことが何度かあった。すると、すぐに態度が変わり、相手にされなくなってしまった。健常者と競い合う立場で、メンタル持ちを取る必要性はよほどでないとないだろうし、「完全に、100%再発がないと言い切れますか?」という質問には、たじたじになった。



皆さんは、統合失調症双極性障害の知識をどの程度持っているだろうか。統合失調症は、幻聴や幻覚、妄想。双極性障害は、別名躁鬱病。鬱になったり、躁になったりする気分病だ。僕は両方の経験があり、現在では双極性障害と診断されている。


あるいは、こういった病気を理解しようと務めている人も多いかもしれない。しかし、患者の僕からすれば、病人になってみなければ、その心根は永遠に理解できないと思う。


理解できないということを端っこの方に追いやる、という人々も存在する。僕は病気になって多くの友人を失い、仕事を何度か失った。精神病患者=理解できない、と結論付けてしまうような人々とは、付き合うことが難しいからだ。


MIXIでやり取りしていて、病院までお見舞いに来てくれた友達だって、ディティールは忘れたけど、「お前は、もう一回入院しろ!!」というメッセージを貰った。そこで、その友達との付き合いは終わった。


僕は幸い、薬を服薬していると、健常者と変わらない。気分は安定しているし、仕事をすることもできる。だけど、そうじゃない患者も無数にいる。僕も含め、彼らはレッテルを張られる。そして、そのことを息苦しく思い、生きていくことが惰性になってしまうことだってある。


張られてしまったレッテルは、容易には引き剝がせない。それでも生きている。生きているのが、僕たち精神病患者だ。